「多くの生徒を自分の思うように動かせる教師」の間違った思考

「生徒を自分の思うように動かせる教師」=「素晴らしい教師」
では、決してありません。
騙されてはいけません。
1つ典型的な例を挙げて説明します。
生徒指導ができると言われているA教師、32歳、男性、学年主任です。
この教師が教室に入ってくると、教室が静かになるような教師です。
この教師が所属する学年で、3学期に「演劇コンクール」を提案、実行することになりました。
演劇コンクールは、A教師の得意分野です。
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A教師は、演劇コンクールを成功させようと必死になりました。
例えば、次のようなことをします。
・2~3か月前から、練習を始める。
・本番直前の2週間は、「できが悪いから」と言って、教科の授業を演劇コンクールの練習に変える。
・放課後や昼休み、頻繁に「部門リーダー会議」をする。これが、クラブにも影響する。
・リハーサルで、うまくいかないクラスに「お前らのクラスは全然ダメだった」という。
担任も生徒も振り回されます。
結果、クラスがバラバラになることもあります。
本番では、一見「大成功」したように見えます。
学年便りにも、「大成功の演劇コンクールでした」と書くわけですから。
これが、落とし穴なのです。
「納得して、大成功とだった」、「やってよかった」と思っている生徒はクラスに何%いるのでしょうか。
優勝したクラスの控えめな優しい5人が訴えにきました。
「元気のいい子だけが、満足してやっているだけ」と。
また、元気のよい部門リーダーの一部も、
「もう二度と、部門リーダーはやらない」、
「言うことを聞かないと怖いから、やっているだけ」、
「あの指導の時のあの言葉は許せない」
と。
何のための行事かを考える必要があります。
これは、行事の完成度を求め過ぎた結果起こった「悲しすぎる結末」に記事にしました。
見た目だけよくする行事なんていらないのです。
しかし、経験年数の少ない教師にとっては「すごい」となってしまうのです。
これが怖いのです。
それはそうでしょう。
自分のできないことを「できる」わけですから。
極端に言えば、「20人の生徒が素晴らしいと思う教師」と「5人の生徒が素晴らしいと思う教師」に差はないのです。
どちらも必要な教師なのです。
「数が多いから目立つ」ことに騙されてはいけません。
素晴らしい教師と言うのは、結果や見た目にはこだわりません。
例えば、40人の生徒、6人の学年教師団がいたら、そのすべての教師や生徒に対して、「優しさ」をもった指導ができるのです。
先のA教師の指導のように「一部の元気のよい生徒」だけに焦点をあてないのです。
また、すべての学級担任が気持ちよく、負担なく行事を迎えられるようにしかけるのです。
おそらくA教師の指導に「納得できない生徒」がクラスにいるでしょう。
その生徒を無視した言動をします。
「納得できない生徒」の気持ちを聞いてあげている教師のことなど全く頭にないのです。
エースで4番の自分だけが必要だと思っているのです。
単に目立つからだけなのです。
細やかな生徒指導ができる教師や世間一般感覚のある教師(多くは女性)が、
「A先生は自分のことしか考えていない。全然優しくない。言ったけど無駄だった」
と残念に思っている
ことに気づかないのです。
さらにA教師は、「教師演劇をする」という行動にでます。
それは構わないのですが、次がいけません。
「自分が主役になる」のです。
自分が前に出たいのです。
自分ができることを示したいのです。
アラフォーにもなり、学年主任もしている立場の教師なら、「他の教師に花をもたせる」のです。
それが、通常の感覚です。
きっとこのA教師は次のように言うでしょう。
「他の先生に負担をかけたくなかったから」と。
このような教師に騙されて、「優しくない教師」が育っていくことがあるのです。
とても残念です。
別の話になりますが、このような教師は時代に逆行する考えをもっています。
「職業体験は、教師の負担が増えるからだめだ」
「ボランティアや福祉体験は、自己満足にすぎないからだめだ」
という考えです。
少し新聞や書物を読めば、その重要性が分かります。
単にこの教師が、職業体験、ボランティア体験、福祉体験を「嫌い」なだけなのです。
さらに言うと、学校外の方と連携を取りながらする仕事をしたくないのです。
でも、授業時間を削ってでも、「行事指導」はしたいのです。
バランス感覚0の人間です。
この他にも、「生徒の前で、頭ごなしに教師を注意する」教師もいます。
残念すぎます。
このような教師には、人は集まっていかないでしょう。
見た目に騙されてはいけません。
優しい教師を目指しましょう。