「子どものため」を判断基準にしない

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先生が意思決定する時の魔法の言葉?があります。
「子どものためになる」
です。
この言葉がNGなのではありません。
この言葉が教師の判断能力を鈍らせている場合か多いからです。
「子どものために」
そんなことは当たり前です。

この言葉を「判断基準」として使ってしまうと、すべて「やる」ことが前提になってしまいます。
だからこそ、何かをやるかやらないかを判断する時に、出さない方がいい言葉なのです。

「子どものため」が最初にあると、やることを前提とした議論になります。

そこで、「そもそも、これはやる必要があるのか」ということを選択肢の一つとして考えるのです。
「確かにこれをやれば、子どものためになる。しかし、やらなかった場合、その分授業準備の時間や生徒と対話する時間が増える」
その方が子どものためになることもあるのです。

「やらないことの方が子どものため」になる時もあります。
しかしこのような自分で自分の首をしめる「やる決断」が現場ではよくされるのです。
提案している先生は、おそらく「思い」や「余力」もあるでしょう。
しかし、そうでない先生もいます。

私はブログで、ハードルが高いことを発信することもあります。
学級通信、学年便りについては特にそうです。
発信していることをすべて実現しようと思えば、犠牲にすることが多くでてきます。
例えば、
「学級通信を夜中に書いた。その結果、次の日パフォーマンスが悪くなり、生徒にきつく当たってしまった。授業がうまくいかなかった」
のであれば、考える必要があるのです。
これだけで判断できる問題ではありませんが、その時は、学級便りを発行しなかった方が「子どものために」なったのかもしれません。
それでも「学級便り」を発行したいのであれば、「仕事術」を工夫して時間を生み出すことが先になるでしょう。
「そもそもやらない」も、選択肢としてありえるということです。
「子どものため」という言葉をなくして判断することが、「子どものため」になるのです。