気づけた先生が、ワクワクするような中学校の文化を創っていくのです。
私がこのブログで最も伝えたいことの1つです。
1.A先生が感激したこと
ある初任者の先生(A先生とします)が感激して涙ながらに話してくれたことです。
講師時代から、一生懸命な先生です。
決して手を抜いたりしません。
A先生が採用試験に合格して、ある中学校に赴任しました。
学級開きをして2日目のことです。
学級便りの印刷や教室の準備、さらには校務分掌で考えなければならないことがあり、今日も帰りが遅くなるとA先生は思っていました。
そんな時です。
隣のクラス担任の2年目の先生(B先生とします)がA先生に、
「この学級便り、印刷しておきますね。45部でしたね。」
と言いながら、学級便りの原稿をもって行こうとしたそうです。
A先生が戸惑っていると、
「今日やること終わってるから」
と、とても自然な笑顔で答えたのです。
そして、15分後戻ってきてA先生に満面の笑みで言います。
「45部印刷しましたよ。校長先生、教頭先生、主幹教諭の先生、学年主任の先生、副担任の先生の机の上においておきました。これが生徒分の40部です。あと、教室の机もついでだから先生の教室もやっておきましたよ。」
B先生は、A先生の行動を見ていたのです。
だからこそ、自然にできたことなのです。
「A先生、何かできることはありませんか」という声かけでは、A先生はとっさに「大丈夫です」と答えて終わっていたでしょう。
A先生は、嬉しくてエネルギーが何倍も出てきたことは言うまでもありません。
話を進めます。
2.どんな学校を創りたいのか
いわゆる「組織論」の話です。
例えば、学年に10人の先生が所属していて、100のやるべき仕事があるとします。
この時に、
「一人一人の先生が、それぞれ10の仕事をする」のではなく、「10人の先生が、合計100の仕事をする」
という考え方をするのです。
先の例で言うと、B先生が「10人の先生が、合計100の仕事をする」という考え方をしたことになります。
「自分の仕事」と「他人の仕事」を、いい意味でその垣根をなくしているのです。
この考えを学年の先生が全員できれば、学年の総合力は飛躍的にアップします。
さて、この種の話をすると「優しくない」「頭の固い」「運が逃げていくような」「残念すぎる」先生は、次のように考えます。
「それは、○○先生の仕事だから。助けすぎるのはよくない。初年度は誰でも帰る時間が遅くなるもの。」だと。
いわゆる「一人一人の先生がそれぞれ10の仕事をする」考えです。
組織としてそういう考えをする時も、もちろんあります。
原因がその先生にある場合もありますから。
しかし、です。
それは違うと思うのです。
そのような考え方は、好き嫌いで言うと「大嫌い」です。
「助ける」という言葉を選ぶのも気に入りません。
「そもそも論」ですが、最初の学年分掌を分ける時に、間違った分け方をしていたから「ずっと早く帰られている」「ずっと帰るのが遅くなっている」状態かもしれないのです。
いや、その方が多いかもしれません。
次のようなことはないでしょうか。
10年目の先生が「学年生徒指導担当」の校務分掌を担当したが、その学年は生徒指導的なことがほとんどない場合です。
もしあったとしても、「それぞれの学級担任が自分で対応する」、「学年生徒指導の先生が積極的に動かない」場合です。
学年生徒指導の先生の仕事は少なくなります。
その結果として「早く帰られる」場合もあるのではないでしょうか。
「学年生徒指導担当」の例で説明しましたが、似たようなことは他にあります。
最初の学年分掌決定会議の時に、損得の「得」しか考えないような先生がいればそうなるのです。
その一方で、分けて考えることもあります。
「協力してやろうとしない」「頑張ろうとしない」「卑屈すぎる」先生です。
そういう時こそ、学年でリーダー的立場にある先生が、その先生にはっきりと言えばいいのです。
先の例の戻ります。
もちろん、マストではありません。
気づいた先生が、そうしたい時にそうすればいいのです。
そして、言われた先生は「ありがとうございます」と笑顔で言えばいいのです。
年齢や立場、経験なんて、そこには関係ないのです。
1年目の先生でも実践できるのです。
チームとはそういうことでしょう。
教師が「チーム」としての意識をもたなきゃだめでしょう。
「気づけた先生」「気づく能力がある先生」「気づけるようになりたい先生」が、ワクワクするような中学校の文化を創っていく
のです。
そのような先生が、これからの中学校教育の中心となるべき先生なのです。
私は、そのような文化を広げていこうと思っています。
ブログもその1つの形です。
最後まで読んでくださり、ありがとうございましたm(_ _;)m