1.行事のための学校ではない
中学校の行事は、生徒を大きく成長させる大切な場です。
体育大会、合唱コンクール、文化祭、どれも中学校では切り離せません。
今まで力のある先輩教師の方々(現在の年齢は50歳~退職直前)が大感動の行事を創りあげてきたのを見てきました。
綿密に計算された練習計画、無駄のない指示、迫力ある演技、中学生の輝く姿・・・。
今まで中学校教育を支えて来られた教師だからこそなせる技だと感動しました。
このような教師の方々が退職する前に、何とか技術を学ぼうとしたものです。
さて、このような演目を目指し、多くの先生方がそれぞれの中学校で力を発揮しようとしています。
ある中学校での出来事です。
例年通り、この中学校でも体育大会が1ヶ月後に実施されることとなりました。
30代前半の体育教師が中心でした。
職員会議でしっかりした提案をしました。
例年通り、体育大会の練習時数は、合計8時間の予定でした。
この体育教師は、3年生の演目を「組体操」に設定しました。
あるTV番組で感動的な「組体操」を見て、自分もしようと思ったそうです。
素晴らしい意気込みです。
ぜひ成功して欲しいと思いました。
しかし、練習はこの教師の思う通りに進みませんでした。
したがって、体育の時間を利用しての練習、学年練習の時間での練習、ほぼすべての時間を組体操の練習に費やすことになってしまいました。
体育大会1週間前、この教師は、「練習時間が足りないので、授業時数に余裕のある教科は私に譲ってください」と職員朝礼で発言しました。
さらに、時間割変更もして、ある日の5~6時間目の授業を組体操の練習にあてました。
2.悲しすぎる結末
いくらやってもできない状態が続きました。
中学3年生でも、練習への集中力には限界がありました。
それどころか、体育大会直前、疲れがピークになってしまったのです。
結局、体育教師の求めている完成度までは届かず、本番が終了しました。
残念ながら、生徒も達成感を感じていませんでした。
中学3年生、中学生活最後の体育大会は、不完全燃焼で終了したのです。
3.問題点と改善点
問題点は、2つです。
・完成度を高く設定し過ぎた上、方向転換せずにやりきろうとしたこと。
・完成させるために、大事な授業時数を奪ったこと。
このような行事は、限られた授業時数の中でやるからこそ意味があるのです。
行事のための学校ではなく、学校のための行事でなければならないのです。
限られた授業時数でできないのなら、完成度をさげなければならなかったのです。
あるいは、限られた授業時数で、演目を仕上げる技術をもっておかなければならなかったのです。
あるいは、最初から限られた授業時数でできる演目を設定しなければならなかったのです。
もちろん、ここまで進んだのは、この体育教師だけの責任ではありません。
途中で適切なアドバイスを与えられなかった他の教師にも責任はあります。
・他の授業を奪ってまで練習するのは間違っていること。
・指導できない部分があるのなら、その部分については方向転換すべきであること。または、できるような具体的な指示を与えること。
これを言ってあげなければならなかったのです。
4.行事の真っ最中でも疎かにしてはいけないこと
やや極端な例を示しましたが、この体育教師に限らず、行事に力を入れすぎる学年があります。
ほとんどの場合、学年で力のある教師が先導しています。
その流れについて行こうと、他の教師も必死です。
しかし、その流れについていけるのは、教師を始めて経験5~6年以上の教師です。
それでも、ついていくだけで精一杯なのです。
こういう時、一番つらい思いをするのは、新任教師です。
流れについていこうとするあまり、「教科の授業」や「学級経営」がおろそかになります。
その結果、学級も授業も荒れていきます。
その新任教師のクラスの行事の結果が悪かった場合(悪くなることがほとんどですが)、事態は深刻です。
つながりを深めるための行事が、逆の結果になるのです。
一度荒れてしまうと、元通りにはなかなか戻すことはできません。
「子どものためにできる限りのことをする」、これは事実です。
しかし、限られた資源の中でどれだけ行事に力を入れるのかは、しっかり吟味しないといけなかったのです。