この記事のポイント
・授業中心からマネジメント中心の変化の本質を理解すること(感覚的には、半分転職)
・授業で結果を出しているからといって、管理職で成功するとは限らない
・子ども相手から大人相手を受け入れる覚悟が必要
・喜びの質が異なる
管理職になると、当然授業を持つことはなくなります。
もちろん、学校や状況によって、休職等が出た場合に、例外的に授業に入ることはあるかもしれません。
しかし、教諭の頃のように、自分の学級や担当教科を持ち、年間を通して子どもたちと授業をつくっていくことは、なくなります。
これは、管理職になる上で、大きな変化です。
管理職になってから初めて、その大きさに気付く人もいます。
分かってはいるものの、なかなか受け入れられない人もいます。
いつまで経っても受け入れられない人は、「降格願い」を出して、教諭に戻ることもあるくらいです。
私自身も、授業から離れることには寂しさがありました。
教室に入って、子どもたちの表情を見る。
今日の授業がうまくいったかどうかを、自分の感覚で確かめる。
授業後に、「今日は少し手応えがあったな」と思う。
そうした日々は、教員としての大切な時間でした。
管理職になると、その時間が日常ではなくなります。
長年のルーチンがなくなるわけです。
これは、きれいごとではなく、率直に寂しいことです。
特に、授業に強い思いを持っている先生ほど、この点はしっかり考えておいた方がいいと思います。
「子どもと直接関わる時間が自分の支えになっている。」
「授業をしているから教師としての実感がある。」
自分の仕事の中心が大きく変わるということです。
その変化を軽く考えない方がいいと思います。
ただ、管理職になると、授業に関われなくなるわけではありません。
管理職の仕事は、自分が授業をするのではなく、先生方の授業を見る立場になります。
いわゆる、プレイヤーからマネジャーへの変化です。
授業者としてではなく、学校全体の授業づくりを支える立場になります。
これは、教諭の頃とはまったく違う視点です。
例えば、授業参観をしていると、若い先生が悩みながら授業をしている姿が見えます。
ベテランの先生が、さりげなく子どもたちの思考を深めている場面にも出会います。
一見静かな授業の中に、先生の深い配慮が隠れていることもあります。
管理職になると、そうした一つ一つの授業を、学校全体の力として見ていくことになります。
「この先生の良さを、どう学校全体に広げられるか。」
「この先生がもう少し自信を持てるように、どのような声を掛ければよいか。」
そんなことを考えなければなりません。
教諭の頃は、自分の授業を良くすることに意識が向きます。
管理職になると、学校全体の授業を良くすることに意識が向けなければなりません。
また、自分の推しの教職員だけに対してではなく、全教職員のことを考える必要があります。
この違いは、とても大きいです。
先生方の授業が少しずつ良くなっていく喜びがあるものの、自分が授業をしていた頃の喜びとは質がまったく異なります。
管理職を迷っている先生には、ここを正直に考えてほしいと思います。
「自分は授業をしない立場になっても、教育への思いを持ち続けられるだろうか。」
「自分の授業ではなく、先生方の授業を支えることに喜びを感じられるだろうか。」
「苦手に感じる先生の授業を見て、公平にコメントできるだろうか」
この問いは、管理職を考える上でとても大切です。
管理職になると、授業ができなくなります。
これは事実です。
その寂しさをごまかす必要はありません。
しかし、授業への関わりがなくなるわけではありません。
授業者から、授業を支える人へ。
自分の教室から、学校全体の教室へ。
その視点の変化を受け入れられるかどうか。
そこも、管理職になるかどうかを考える大切な判断材料になるのだと思います。