学校では、毎日のように何かを決めています。
学年の方針をどうするか。
行事をどのように進めるか。
生徒指導上の課題に、誰がどのように対応するか。
授業改善をどこから始めるか。
校務分掌をどのように見直すか。
新しい取組を始めるか、従来の方法を続けるか。
学校の仕事は、意思決定の連続です。
そして、学校では、この意思決定が難しくなることがあります。
意見を出しても、声の大きい人に押し切られる。
長く話し合っても、結局何も決まらない。
会議では賛成したように見えたのに、終わった後で不満が出る。
管理職が決めると、「トップダウンだ」と言われる。
全員で決めようとすると、責任の所在が分からなくなる。
若い先生の提案が、経験の長い先生の一言で消えてしまう。
反対に、新しい提案を尊重するあまり、危険性や実行可能性が十分に検討されないこともあります。
学校に必要なのは、トップダウンかボトムアップかという二者択一ではありません。
誰が決めるのか。
誰の意見を聞くのか。
何を基準に判断するのか。
決定後、誰が実行するのか。
結果をいつ検証するのか。
その仕組みを、案件に応じて設計することです。
- 学校の意思決定に「上下関係は必要ない」の本質
- 分散型リーダーシップは、責任を分散させることではない
- 「全員で決めること」が民主的とは限らない
- 意思決定の方法を先に決める
- 会議は短ければよいわけではない
- 会議を開かなくてもよいことがある
- 「思いの強さ」は、意思決定の基準にはならない
- 「正しさ」も一つとは限らない
- 全員一致を目指しすぎない
- 心理的安全性は、反対意見を言えること
- 声の大きい人から先に話させない
- 小さく試せることは、小さく試す
- チームの人数に万能の正解はない
- ミドルリーダーは「上から指導する人」ではない
- 会議で自分の意見を通すことを目的にしない
- 決めた後の説明が信頼をつくる
- 決定しただけでは、何も変わらない
- 会議後に異論を言う場合
- 学校の意思決定を整える五つの問い
- よい学校は、何でも全員で決める学校ではない
- 参考資料
学校の意思決定に「上下関係は必要ない」の本質
年齢や経験年数を根拠に、他の教職員を従わせようとする関係には、今でも強い違和感があります。
年上だから正しい。
主任だから反対してはいけない。
若いから黙って従う。
そのような関係は、健全な学校組織とはいえません。
「学校の意思決定に上下関係やリーダーは必要ない」は、誤解を生むような表現でもあるので、細部を説明したいと思います。
年齢による不当な上下関係と、職務上の責任・権限は別のものです。
学校教育法第37条第4項は、校長が校務をつかさどり、所属職員を監督すると定めています。
学校運営の最終的な責任と権限は、誰にあるのかを曖昧にすることはできません。
校長が最終判断をすること自体が、直ちに悪いトップダウンになるわけではありません。
問題は、判断に至る過程です。
必要な情報を集めたか。
異なる立場の意見を聞いたか。
子どもへの影響を考えたか。
法令や人権、安全面を確認したか。
決定理由を説明したか。
一度決めたことを、必要に応じて見直す仕組みがあるか。
最終判断者が明確であることと、教職員が意見を言えることは両立します。
むしろ、最終責任者が不明確なまま「みんなで決めたこと」にすると、問題が起きたときに誰も責任を引き受けない状態になりかねません。
分散型リーダーシップは、責任を分散させることではない
学校では、分散型リーダーシップという考え方が語られるようになりました。
校長一人がすべてを考え、すべてを指示するのではなく、教職員がそれぞれの専門性や役割を生かして学校運営に参画する考え方です。
学年主任が学年の課題を把握する。
教務主任が教育課程全体を見渡す。
生徒指導主事が生徒指導上の情報を整理する。
特別支援教育コーディネーターが支援の視点を示す。
養護教諭、事務職員、スクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカーなどが、それぞれの専門性から意見を述べる。
このように、知識やリーダーシップを一人に集中させないことには意味があります。
ただし、分散型リーダーシップは、責任の所在まで曖昧にする考え方ではありません。
提案する人。
意見を求められる人。
実行する人。
進行を管理する人。
最終的に決める人。
それぞれを明確にする必要があります。
文部科学省の令和4年12月の中央教育審議会答申は、学校管理職のリーダーシップの下で、目標を明確にし、心理的安全性を確保し、多様な経歴や背景を踏まえたマネジメントを行う必要性を示しています。
同時に、管理職には、情報を収集・整理・分析して共有するアセスメントと、学校内外の関係者の相互作用を促すファシリテーションが求められるとしています。
つまり、これからの学校管理職は、
「自分が全部決める人」
でも、
「みんなに任せて決めない人」
でもありません。
多様な意見が出る環境をつくり、その意見を整理し、責任をもって判断する人です。
「全員で決めること」が民主的とは限らない
学校では、
「みんなで話し合って決めましょう」
という言葉がよく使われます。
一見すると、民主的で公平な方法に見えます。
しかし、全員で話し合えば、すべての人の意見が等しく反映されるとは限りません。
発言の多い人が有利になります。
役職や年齢の高い人の意見が重く受け止められることがあります。
その場で素早く考えられる人の意見は表に出やすく、時間をかけて考える人の意見は出にくくなります。
反対すると人間関係が悪くなると感じ、黙ってしまう人もいます。
形式上は全員参加であっても、実際には一部の人だけで決めていることがあります。
重要なのは、会議に全員を参加させることではありません。
必要な人の意見が、必要な段階で意思決定に反映されることです。
たとえば、ICTに関する方針を決める際に、全教職員が技術的な細部まで議論する必要はありません。
担当者が情報を整理し、関係する教職員から課題を聞き、管理職が費用、安全性、実行可能性を踏まえて決める方法もあります。
一方で、勤務時間、校内の役割分担、子どもの生活に広く影響する変更であれば、多くの教職員から意見を集める必要があります。
案件によって、参加の範囲を変えることが必要です。
意思決定の方法を先に決める
会議が混乱する原因の一つは、「どのように決めるのか」が共有されていないことです。
参加者の中に、
「今日は意見交換だけをする」
と思っている人と、
「今日中に結論を出す」
と思っている人が混在していることがあります。
提案者は、
「意見をもらって案を修正したい」
と思っているのに、参加者は、
「この案を採用するか否決するかを決める」
と思っていることもあります。
会議の冒頭で、少なくとも次の点を明確にします。
今日は何のために話すのか。
情報共有なのか。
課題を整理するのか。
案を出すのか。
意見を聞くのか。
最終決定するのか。
誰が最終的に決めるのか。
いつまでに決めるのか。
ここが曖昧なまま会議を始めると、話し合いが長くなります。
意見を聞く会議であれば、すべての意見を踏まえた上で、後日、責任者が決めることもあります。
その場で決定する会議であれば、決定基準を先に確認する必要があります。
会議を始める前に、
「今日のゴールは何か」
を一文で示すだけでも、話し合いは大きく変わります。
会議は短ければよいわけではない
以前、私は、
「学年教師集団の優秀さは、会議の長さに反比例する」
と書きました。
反比例とは、一方が増えると、もう一方が一定の数学的関係に従って減少することです。
会議時間と教師集団の力量の間に、そのような関係が確認されているわけではありません。
長時間の会議がよいとは思いません。
結論のない話が続く。
同じ意見を何度も繰り返す。
資料をその場で読み上げる。
一部の人だけが長く話す。
決まった後で、別の話題に戻る。
勤務時間を超えても終わらない。
このような会議は見直すべきです。
一方で、短時間で終わったから、よい会議とも限りません。
管理職や主任が結論だけを伝え、誰も質問できない会議は短く終わります。
反対意見を述べにくい職場でも、会議は早く終わります。
重要なリスクを検討せず、勢いで決めれば、短時間で結論が出ます。
会議の質は、時間だけでは測れません。
必要な情報が共有されたか。
重要な論点が検討されたか。
異論を出せたか。
誰が何をするか決まったか。
決定後の行動につながったか。
会議に使った時間と、得られた成果が見合っているか。
このような観点で考える必要があります。
令和6年8月の中央教育審議会答申は、教師が本来担う業務に集中できる環境を整えるため、学校の働き方改革と指導・運営体制の充実を一体的に進める必要性を示しています。会議も、慣例で続けるのではなく、教育の質と教職員の時間の両面から見直す対象です。
会議を開かなくてもよいことがある
学校では、情報を共有するためだけに会議を開くことがあります。
しかし、一方向の情報伝達であれば、文書や校務支援システムで済む場合があります。
会議が必要なのは、人が集まることによって価値が生まれるときです。
異なる情報を持ち寄る。
複数の案を比較する。
利害の異なる立場を調整する。
重要なリスクを洗い出す。
判断基準を共有する。
決定後の役割を確認する。
このような内容には、対話が必要です。
逆に、単に資料を読み上げるだけなら、全員を集める必要はありません。
「毎年この時期に会議をしているから」
ではなく、
「この内容は、集まって話す必要があるのか」
を考えます。
会議を減らすこと自体が目的ではありません。
必要な対話に、必要な時間を使えるようにすることが目的です。
「思いの強さ」は、意思決定の基準にはならない
以前私は、
「正しさよりも、思いの強さを基準に決めれば、学校は面白くなる」
と書きました。
若い先生が時間をかけて考えた提案を、経験の長い先生が簡単に否定する場面への問題意識から書いたものです。
提案者の意欲を大切にしたいという思いは、今も変わりません。
新しいことを提案した人が、
「どうせ否定される」
と思う職場では、次の提案は生まれません。
しかし、「思いの強さ」を意思決定の基準にするのは危険です。
思いを強く語れる人の案が通りやすくなります。
発言が苦手な人や、慎重に考える人の意見が軽く扱われます。
熱意のある提案であっても、法令、人権、安全性、費用、業務量などに問題がある場合があります。
子どものためという強い思いが、教職員の過重労働を正当化することもあります。
必要なのは、提案者の思いを尊重しながら、案の妥当性を検討することです。
何を解決するための提案なのか。
子どもにどのような利益があるのか。
根拠となる事実やデータはあるか。
誰かの権利や尊厳を損なわないか。
安全上の問題はないか。
実行に必要な時間と人員はあるか。
他の方法と比較したか。
実施後に検証できるか。
思いは、提案を生み出す力になります。
しかし、思いだけで決めてはいけません。
「正しさ」も一つとは限らない
一方で、
「根拠に基づいて決める」
と言えば、すべてが簡単に決まるわけでもありません。
学校の課題には、唯一の正解がないものが多くあります。
学力向上を優先する。
子どもの負担を減らす。
教職員の業務量を減らす。
保護者への分かりやすさを高める。
個別の事情に柔軟に対応する。
学校全体の公平性を保つ。
どれも大切ですが、すべてを同時に最大化できるとは限りません。
同じデータを見ても、立場によって解釈が異なることがあります。
だからこそ、意思決定では、事実と価値判断を分けて考えます。
「欠席者が増えている」
は事実です。
「この取組をやめるべきだ」
は判断です。
「会議が平均90分かかっている」
は事実です。
「長すぎる」
は評価です。
「保護者から三件の要望があった」
は事実です。
「保護者全体が反対している」
とまでは言えません。
事実を確認した上で、学校として何を大切にするのかを話し合います。
根拠に基づくことは、数字だけで決めることではありません。
教職員の経験、子どもの声、保護者の意見、専門職の見立て、法令、研究知見など、複数の情報を組み合わせて考えることです。
文部科学省も、学校管理職に、学校の内外に関する情報を収集・整理・分析し、教職員と共有するアセスメントの能力を求めています。
全員一致を目指しすぎない
学校では、
「全員が納得してから進めたい」
と言われることがあります。
全員の意見を大切にする姿勢は必要です。
しかし、全員が心から賛成するまで決めないとすれば、一人でも反対すれば何も進まなくなります。
合意形成は、必ずしも全員一致を意味しません。
私は第一案が最善だと思っている。
しかし、第二案で進める理由は理解できる。
決定には賛成できない部分がある。
それでも、組織として決まった後は実行に協力する。
このような状態も、合意形成の一つです。
ただし、
「反対意見は聞いた。多数派で決めた。終わり」
では不十分です。
反対意見の中に、見落としていた危険性が含まれていることがあります。
少数意見を記録し、実施後に検証する条件として残しておくことが重要です。
たとえば、
「この案で進める。ただし、三か月後に業務量を確認する」
「試行期間を設け、子どもと保護者の意見を聞く」
「安全上の問題が生じた場合は、直ちに中止する」
と決めます。
反対意見を、意思決定を妨げるものではなく、決定の質を高める情報として扱います。
心理的安全性は、反対意見を言えること
心理的安全性のある職員室というと、穏やかで仲のよい職員室を想像することがあります。
しかし、本当に心理的安全性が問われるのは、意見が一致しないときです。
主任の提案に疑問を述べられる。
管理職の判断に必要な情報を伝えられる。
経験の長い先生に、別の考え方を示せる。
若い先生の案にも、必要な指摘ができる。
自分の提案の問題点を指摘されても、人格を否定されたとは受け取らない。
そのような関係があるかどうかです。
令和4年12月の中央教育審議会答申は、心理的安全性を、教職員が萎縮せず意見を述べ、前例のない取組に挑戦し、問題を一人で抱え込まず、組織としてより適切な解を導くための条件と位置づけています。
心理的安全性は、反対しても何も問われないことではありません。
根拠のない批判。
人を傷つける言い方。
決定後も実行を妨げる行為。
会議外で個人攻撃を続けること。
このような行為まで認めるものではありません。
意見の違いと、人への攻撃を分けることが必要です。
「その考え方は違うと思います」
と言うことと、
「あなたは分かっていない」
と言うことは違います。
議論するのは、案や事実です。
人の価値ではありません。
声の大きい人から先に話させない
会議では、最初に出た意見が、その後の話し合いに影響します。
役職の高い人や経験の長い人が最初に結論を述べると、他の人は異なる意見を出しにくくなります。
重要な案件では、いきなり自由討議を始めない方がよい場合があります。
まず、一人で考える時間を取る。
短く書いてから発言する。
若い人や担当者から先に話す。
専門職の見立てを先に確認する。
管理職は、全員の意見を聞いた後に考えを述べる。
匿名で意見を集める。
このような工夫によって、意見の偏りを減らせます。
会議で発言しなかったから、意見がないとは限りません。
黙っていた人にも、
「何か気になっている点はありませんか」
と尋ねます。
ただし、全員に必ず発言を強制すると、会議が形式的になります。
発言、記述、事前提出など、複数の参加方法を用意する方がよいと思います。
小さく試せることは、小さく試す
学校の意思決定を重くする原因の一つに、
「一度決めたら、ずっと続けなければならない」
という感覚があります。
すべてを本格実施する前に、試すことのできる案件があります。
一つの学年で試す。
一学期間だけ実施する。
対象を限定する。
任意参加で始める。
実施後にアンケートや記録を取る。
結果を見て、続けるか修正するかを決める。
やり直せる決定であれば、最初から完璧な案を求めすぎないことです。
一方、簡単にやり直せない決定は、慎重に考えなければなりません。
子どもの安全に関わること。
個人情報に関わること。
人権や評価に関わること。
大きな予算を使うこと。
長期的な負担を生むこと。
一度実施すると、子どもや保護者に重大な影響が出ること。
意思決定の速さは、案件の重要度と可逆性によって変える必要があります。
何でも早く決めることが、優れた意思決定ではありません。
チームの人数に万能の正解はない
経験的に、
「5~10名の教師のチームが最も力を発揮する」
と記事に書いたことがあります。
少し深掘りします。
チームの適切な人数は、仕事の内容によって変わります。
情報共有だけなら、大きな集団でもできます。
複雑な案をつくるなら、少人数の方が話しやすいことがあります。
多様な専門性が必要な課題では、一定数の参加者が必要です。
緊急対応では、意思決定者を絞った方がよい場合があります。
人数そのものよりも重要なのは、
目的が共有されているか。
役割が明確か。
必要な専門性が含まれているか。
情報が行き渡るか。
発言の機会があるか。
責任者が明確か。
という点です。
人数が多ければ、検討チームをつくり、その案を全体で確認する方法があります。
人数が少なければ、外部の専門家や別の学年の教職員に意見を求める方法があります。
「何人が最適か」ではなく、
「この課題を考えるために、誰が必要か」
と考える方が適切です。
ミドルリーダーは「上から指導する人」ではない
ミドルリーダーという言葉に、管理的な印象をもつ人もいます。
経験の長い教師が、若い教師を指導する。
管理職の考えを、教職員へ伝える。
会議で結論をまとめる。
それだけが役割ではありません。
ミドルリーダーは、上と下の間に立つ人ではなく、異なる人や情報をつなぐ人です。
管理職の意図を教職員へ分かる形で伝える。
現場の課題を管理職へ届ける。
異なる意見の共通点を見つける。
論点を整理する。
発言の少ない人の意見を引き出す。
決定したことが実行できているか確認する。
必要に応じて、見直しを提案する。
文部科学省の資料でも、学校管理職やミドルリーダーに、教職員同士の相互作用を促すファシリテーション能力が求められています。
ミドルリーダーが、自分の意見を通す人になれば、組織は萎縮します。
反対に、何も決めず、すべてを管理職へ送るだけでも機能しません。
自分で判断できる範囲。
管理職へ相談する範囲。
教職員から意見を集める範囲。
この境界を理解する必要があります。
会議で自分の意見を通すことを目的にしない
会議に提案を出すと、自分の案を通したくなります。
時間をかけて考えた案であれば、修正されることに抵抗を感じます。
誰かに否定されると、自分自身を否定されたように感じることもあります。
しかし、会議の目的は、提案者の案を守ることではありません。
学校が抱えている課題を、より適切に解決することです。
自分の案がそのまま採用されなくても、話し合いによってよりよい案になれば、会議には意味があります。
提案者に必要なのは、
「この案のどこを守りたいのか」
を明確にすることです。
目的は変えられない。
手段は変えられる。
実施時期は調整できる。
対象は限定できる。
予算によって内容を変えられる。
このように、提案の核と、修正できる部分を分けます。
意見を述べる側も、
「反対です」
だけで終わらせず、
何が問題なのか。
どの条件なら実施できるのか。
代わりの方法はあるのか。
を示します。
案を潰すのではなく、案の質を高めるために意見を出します。
決めた後の説明が信頼をつくる
意思決定では、結論だけでなく、決定理由を説明することが重要です。
どのような課題があったのか。
どのような案を検討したのか。
何を判断基準にしたのか。
なぜ、この案を選んだのか。
どのような懸念が残っているのか。
いつ見直すのか。
この説明がなければ、教職員は、
「最初から結論が決まっていた」
「誰かの好みで決まった」
「自分たちの意見は無視された」
と感じます。
すべての意見を採用することはできません。
しかし、
「意見を聞いた上で、なぜ採用しなかったのか」
を説明することはできます。
説明責任とは、全員を納得させることではありません。
判断の過程を、後から確かめられるようにすることです。
管理職や主任が、都合の悪い情報も含めて説明できるか。
その姿勢が、次の意思決定への信頼につながります。
決定しただけでは、何も変わらない
会議で決まった瞬間に、仕事が終わったように感じることがあります。
しかし、意思決定の目的は、決めることではありません。
決めた内容を実行し、課題を改善することです。
会議の最後に、次の点を確認します。
何を決めたのか。
誰が担当するのか。
いつまでに行うのか。
誰に伝えるのか。
必要な資料や予算は何か。
途中で問題が起きたら、誰に相談するのか。
いつ結果を確認するのか。
ここまで決まっていなければ、会議後に仕事が止まります。
「全員で進めましょう」
では、誰も動かないことがあります。
集団への指示は、具体的でなければなりません。
担当者を明確にすることは、仕事を押しつけることではありません。
実行責任を見えるようにすることです。
同時に、担当者一人へ丸投げしないよう、支援する人と相談経路も決めます。
会議後に異論を言う場合
会議が終わった後で、
「本当は反対だった」
という話が広がることがあります。
会議中に言いにくかった事情があるかもしれません。
後から新しい情報が分かった場合もあります。
決定後に異論を述べること自体を、すべて否定する必要はありません。
ただし、
会議では黙る。
決定後、本人のいない場所で批判する。
実行には協力しない。
問題が起きたら、「最初から反対だった」と言う。
この状態は、組織の意思決定を弱くします。
会議中に言えなかったのであれば、責任者へ直接伝える。
新しい情報が出たのであれば、根拠を示して再検討を求める。
決定を変える必要があるなら、正式な手順で提案する。
陰で不満を広げるのではなく、決定を改善するための行動に変えます。
同時に、管理職や主任は、
「一度決めたことだから変えない」
と固執してはいけません。
新しい事実が分かった。
想定外の負担が生じた。
子どもに不利益が出ている。
安全上の問題がある。
そのような場合には、決定を修正する必要があります。
一度決めたことを変えるのは、指導力の不足ではありません。
誤りや変化に対応する組織の力です。
学校の意思決定を整える五つの問い
学校で何かを決めるとき、私は次の五つを確認することが大切だと思います。
一つ目は、
「何を解決するための意思決定なのか」
という問いです。
方法の議論から始めず、課題を明確にします。
二つ目は、
「誰の意見を聞く必要があるのか」
という問いです。
全員に聞く必要はありませんが、影響を受ける人や専門性のある人を外してはいけません。
三つ目は、
「何を基準に決めるのか」
という問いです。
安全、人権、教育的効果、実行可能性、業務量、費用など、判断基準を共有します。
四つ目は、
「誰が最終的に決めるのか」
という問いです。
全員で話し合っても、最終判断者を明確にします。
五つ目は、
「いつ、何を見て見直すのか」
という問いです。
意思決定を一度きりのものにせず、実施後の検証まで設計します。
この五つが共有されていれば、意見が異なっても、話し合いは進みます。
よい学校は、何でも全員で決める学校ではない
よい学校とは、管理職が何でも決める学校ではありません。
反対に、何でも全員で決める学校でもありません。
必要な人が意見を出せる。
異論が排除されない。
責任者が責任をもって判断する。
決定理由が説明される。
実行する人と期限が明確になる。
結果を検証し、必要なら修正する。
そのような意思決定ができる学校です。
学校には、さまざまな立場や専門性をもつ人がいます。
考え方が違うのは当然です。
意見が違うことを、組織の弱さと考える必要はありません。
違う意見を出し合いながら、子どもと学校にとってより適切な判断をつくる。
それが、学校がチームであるということだと思います。
管理職のリーダーシップは、教職員を黙らせるためにあるのではありません。
すべてを教職員へ委ね、責任を回避するためにあるのでもありません。
多様な意見を生かしながら、判断すべきときに判断する。
決めた後は、実行を支える。
結果が違えば、見直す。
その積み重ねによって、学校の意思決定への信頼はつくられていきます。
参考資料
・中央教育審議会「『令和の日本型学校教育』を担う教師の養成・採用・研修等の在り方について」(令和4年12月19日)
・中央教育審議会「『令和の日本型学校教育』を担う質の高い教師の確保のための環境整備に関する総合的な方策について」(令和6年8月27日)
・文部科学省「公立の小学校等の校長及び教員としての資質の向上に関する指標の策定に関する指針の改正について」(令和6年)
・文部科学省「学校におけるファシリテーションの展開を促進する管理職等研修に関する調査研究」(令和6年)
・学校教育法第37条第4項

