どんな先生に出会うかによって、人生が変わる

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何げない言葉や振る舞いが、子どもの記憶に残る

子どもは、先生が教えた内容だけを覚えているわけではありません。
何げない会話。
言葉の選び方。
困っている人への接し方。
失敗したときの振る舞い。
誰かの意見に耳を傾ける姿勢。
その人の生き方そのものを見ています。
「あのとき、先生に勇気づけてもらった」
「あの一言があったから、もう一度頑張ろうと思った」
「自分のことを信じてもらえた」
そのような記憶が、何年たっても子どもの心に残ります。

人間性があり、人情にあふれた先生に出会うことができれば、子どもは人を信頼することを学びます。
そのような大人と継続して関わることができれば、苦しいことがあっても、自分を見失わずに生きていく力になります。

出会った大人によって、人に失望するのか、人に希望をもつのかが変わることがあります。
すべての責任を教職員に押し付けるつもりはありません。
家庭や地域、社会の影響もあります。
それでも、毎日のように子どもと関わる教職員の役割が大きいことは間違いありません。

どんな先生に出会うかによって、子どもの人生は変わります。

大切なのは、土台となる人間性です。
もう少し具体的に言うのであれば、人を励まし、勇気づけ、希望を与える人間性です。
教育者としてもっとも大事なことです。

自信のリフレクションで、
「今日自分は、子どもたちに勇気と希望を与えられたか」
そんなことを自問自答する日々です。

知識をもっているだけでは、先生の価値になりにくい時代

先生が賢いこと。
豊富な知識をもっていること。
教科について深く理解していること。
もちろん、どれも大切です。
かつては、「この先生は何でも知っている」「本当に博学な先生だ」という先生に出会い、その知識の深さに憧れて、人生の方向が変わることもありました。
しかし、今は少し状況が違います。
分からないことがあれば、端末で調べることができます。
難しい内容も、科学技術の力を借りれば、ある程度まで理解することができます。
先生だけが知識をもっている時代ではありません。
知識を伝えるだけであれば、先生以外にも多くの手段があります。
一方で、科学技術だけでは解決できないものがあります。
人と人とのつながりです。
不安を抱えている子どもに、どのような言葉をかけるのか。
失敗した子どもに、もう一度立ち上がる勇気を与えられるのか。
自信を失っている子どもに、あなたなら大丈夫だと伝えられるのか。

そのような関わりは、人にしかできません。

「普通に話す」ことが尊い時代

今、子どもと一人の人間として、普通に話すことが大切になっています。
上から指導するのでもなく、必要以上に構えるのでもなく、一人の人間同士として話をする。
しかし、この「普通」が意外に難しいのです。
子どもの話を途中で遮らずに聴く。
すぐに評価しない。
正解を押し付けない。
子どもの言葉の奥にある思いを想像する。
間違いや未熟さも含めて、その子どもを受け止める。
そのような関わりは、指導技術だけでは身につきません。
人に対する見方や、自分自身の生き方が表れます。

教職員の専門性の土台にあるもの

教職員の専門性というと、教科指導、授業づくり、学級経営、生徒指導、教育相談などが挙げられます。
どれも必要な専門性です。
しかし、それらの土台にあるものを忘れてはいけません。
人間性です。
人に温かく接する。
人に優しくする。
相手の立場を想像する。
励ます。
勇気づける。
希望の光を与える。
自分とは異なる意見に耳を傾ける。
自分の間違いを認める。
そうした人間性が土台にあってこそ、授業技術や指導方法が生きてきます。
どれほど授業の技術が高くても、子どもを見下していれば、教育にはなりません。
どれほど知識が豊富でも、自分の考えだけが正しいと思っていれば、子どもの学びを閉ざしてしまいます。
間違った価値観を子どもに植え付けてしまえば、子どもだけでなく、周囲の人も不幸になります。
だからこそ、教職員は知識や技術だけでなく、自分自身の人間性を磨き続ける必要があります。

教室と職員室で、振る舞いが変わっていないか

子どもの前では穏やかに話しているのに、職員室では人を威圧する。
教室では対話の大切さを教えているのに、自分の意見が通らないと態度を変える。
子どもには協力することを求めながら、教職員同士で共通の目的に向かって話し合うことができない。
周囲に気を使わせる言動を繰り返す。
「あの人を怒らせたら怖い」と思わせる。
授業では教師だけが話し続け、子どもの意見がほとんど出てこない。
最初から教師の求める結論が決まっている、予定調和の授業を続ける。
自分の考えだけが正解だと思い込み、異なる考えから学ぼうとしない。
このような姿勢のままでは、子どもに対話や協働の大切さを伝えることはできません。
教室での姿と職員室での姿は、別のものではありません。
どちらも同じ一人の人間の振る舞いです。
子どもは、言葉だけでなく、大人の姿から学びます。
教職員同士が信頼し合い、立場や考えの違いを越えて対話する姿を見せること。
意見が対立しても、人を否定せず、よりよい結論を探そうとする姿を見せること。
困っている人を支え、失敗した人を責めるのではなく、共に立て直す姿を見せること。
それ自体が教育です。

「社会のための教育」だけでよいのか

教育について、「今の子どもたちが、十年後、二十年後の社会をつくる」と言われることがあります。
その考え方は間違いではありません。
しかし、私はそれだけでは足りないと思います。
将来の社会のために子どもを育てるという発想だけでは、今を生きている子どもが置き去りになることがあります。
将来の社会に役立つ人材を育てることよりも、まず、目の前の子どもが安心して生きられることを大切にしたいのです。
社会のための教育だけではなく、教育のための社会を考える。
今の社会は、子どもたちにとって生きやすいものになっているのか。
子どもの命や尊厳が守られているのか。
失敗しても、やり直すことのできる社会になっているのか。
その問いを、大人がもち続けなければなりません。
命の尊さ。
友情。
信頼。
思いやり。
支え合うこと。
これらを言葉で教えるだけでは不十分です。
教職員同士が、そのモデルを示す必要があります。

教職員の使命と言ってもいいと私は思っています。

人間性は、どのように磨けばよいのか

では、人間性を磨くために、何をすればよいのでしょうか。
特別な研修を一度受ければ身につくものではありません。
日々、自分の言葉や振る舞いを振り返ることです。
自分の言葉で、誰かを傷つけていなかったか。
自分の態度によって、周囲に余計な気を使わせていなかったか。
子どもの意見を、本当に聴いていたか。
自分と異なる考えを、最初から否定していなかったか。
困っている人に、声をかけることができたか。
自分の正しさよりも、相手の幸せを考えることができたか。
そのような小さな振り返りの積み重ねが、人間性を磨いていきます。
私の場合は、まず、人間性が教育の土台として大切であることを伝え続けたいと思っています。
研修や会議、日々の会話、文章による発信を通して、人を励ますこと、人に希望を与えることの価値を伝えていく。

それが、私にできることの一つです。

大事なことを忘れない

教育の世界には、次々と新しい言葉が登場します。
個別最適な学び。
協働的な学び。
主体的・対話的で深い学び。
生成AI。
ICT活用。
ウェルビーイング。
どれも無視してよいものではありません。
学び続けることは必要です。
しかし、新しい言葉を使っているだけで、教育がよくなるわけではありません。
どれほど先進的な授業をしていても、子どもが大切にされていなければ意味がありません。
どれほど新しい機器を使っていても、子どもが孤独であれば教育は届きません。
形にとらわれすぎて、最も大切なものを忘れないことです。
人を大切にすること。
人を信じること。
人を励ますこと。
人に希望を与えること。
それが教育者としての原点です。
「教育者の気概」という言葉を使うと、少し古く感じる人もいるかもしれません。
しかし、言葉が古く見えても、その中にあるものは変わりません。
どんな時代になっても、教育の中心にいるのは人です。
どんな先生に出会うかによって、人生は変わります。
その事実を忘れず、教育者として人間性を磨き続けること。
それが、教育に携わる者の一丁目一番地
なのだと思います。

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