本記事は人を否定するための話ではありません。
管理職に向いていない人を決めつけたいわけでもありません。
むしろ、自分を守るため、そして学校を守るために、一度立ち止まって考えてほしいという話です。
まず、肩書きだけがほしい人は、管理職にならない方がいいと思います。
校長、教頭という肩書きには、確かに重みがあります。
周りからの見え方も変わります。
しかし、管理職の仕事は、肩書きで人を動かす仕事ではありません。
肩書きがあるから言うことを聞いてもらえる、という考え方で学校に向き合うと、職員室は苦しくなります。
教職員は、肩書きではなく、その人の人間性を見ています。
次に、人の話を聴く気がない(聴けない)人も、管理職になると苦しくなると思います。
管理職には、話す場面がたくさんあります。
職員会議で話す。
保護者に説明する。
地域の方に話す。
教育委員会に報告する。
しかし、それ以上に大切なのは聴くことです。
教職員の話を聴く。
子どもの声を聴く。
保護者の思いを聴く。
自分と違う意見を聴く。
これができないと、管理職の判断は独りよがりになっていきます。
また、他責の念が強い人も、管理職には向いていません。
学校では、思いどおりにいかないことがたくさんあります。
教職員が思うように動かない。
保護者との話がこじれる。
子どものトラブルが起きる。
予定していた取組がうまく進まない。
そのときに、
「あの先生が悪い。」
「保護者が分かっていない。」
「子どもが問題だ。」
とだけ考えてしまうと、学校は前に進みません。
当事者が他責同士では、トラブルは大きくなります。
もちろん、すべてを管理職の責任にする必要はありません。
理不尽なこともあります。
相手に課題がある場合もあります。
しかし、管理職はそこで一度、
「学校として何ができただろうか。」
「自分の伝え方はどうだっただろうか。」
「もっと早く気付けなかっただろうか。」
と考える必要があります。
人のせいにする前に、自分の関わり方を振り返れるかどうか。
これは、とても大切です。
さらに、教職員を信じる気持ちが持てない人も、管理職の仕事は難しいと思います。
管理職は、教職員に指示を出す場面があります。
注意しなければならない場面もあります。
厳しいことを伝えなければならない場面もあります。
しかし、その根っこに「この先生に良くなってほしい」「この先生なら変われるかもしれない」という思いがなければ、言葉はただの管理になります。
人を育てることにはなりません。
管理職は、教職員を監視する仕事ではありません。
教職員が力を発揮できるように支える仕事です。
もちろん、何でも許すという意味ではありません。
不適切なことには向き合わなければなりません。
学校として守るべき線もあります。
それでも、教職員を最初から疑いの目で見るのか、可能性のある人として見るのかで、職員室の空気は大きく変わります。
そして、自分の心身をまったく大切にできない人も、管理職になる前に考えた方がいいと思います。
管理職は責任の重い仕事です。
忙しい時期もあります。
夜や休日に学校のことを考えてしまうこともあります。
だからこそ、自分を整える力が必要です。
休む。
相談する。
抱え込みすぎない。
助けを求める。
これらは甘えではありません。
管理職として働き続けるために必要な力です。
また、全体最適を考えられない人も、管理職になるには慎重になった方がいいと思います。
学校では、さまざまな立場の人が動いています。
子ども。
保護者。
教職員。
地域。
教育委員会。
それぞれに思いがあり、それぞれに事情があります。
管理職は、その一つ一つを大切にしながら、学校全体としてどうすることがよいのかを考えなければなりません。
たとえば、一人の先生にとっては負担が少ない方法でも、学校全体で見ると他の先生に大きな負担がかかることがあります。
ある学年にとっては都合がよい判断でも、学校全体の公平性から見ると難しいことがあります。
一人の保護者の要望に応えたいと思っても、それが他の子どもたちや他の家庭にどのような影響を与えるのかを考えなければならない場面もあります。
管理職は、目の前の一人を大切にしながら、同時に学校全体を見る必要があります。
もちろん、「全体のため」と言って、一人一人を軽く扱ってよいわけではありません。
そこを間違えてはいけないと思います。
全体最適とは、個を切り捨てることではありません。
一人一人の思いや困り感を受け止めた上で、学校全体として持続可能な判断を考えることです。
この視点がないと、判断がその場しのぎになります。
声の大きい人の意見だけが通ったり、目の前のトラブルを収めることだけが優先されたりします。
管理職には、部分だけでなく全体を見る力が求められます。
今、この対応をすると、他の教職員にどのような影響があるのか。
この判断は、来年度も続けられるのか。
この対応は、子どもたち全体にとって説明できるものなのか。
この一人を大切にしながら、学校全体としても無理のない形になっているのか。
そうした問いを持てるかどうかは、管理職にとってとても大切です。
自分の担当、自分の学年、自分の考え、自分に近い人の意見だけで判断してしまう人は、管理職になると難しさを感じると思います。
管理職は、誰か一人の味方をする仕事ではありません。
学校全体を見ながら、子どもたちにとって、教職員にとって、保護者にとって、できるだけ納得感のある道を探す仕事です。
だからこそ、全体最適を考える姿勢が必要なのだと思います。
次に、子どもよりも自分の立場を守ることを優先してしまう人は、管理職にならない方がいいと思います。
管理職は、学校を守る立場です。
教職員を守る立場でもあります。
しかし、その中心には、いつも子どもがいなければなりません。
学校の都合。
大人の事情。
組織の体面。
そうしたものを優先しすぎると、判断を誤ります。
管理職の判断は、最後には「子どもにとってどうか」に戻る必要があります。
最後に、人の幸せを考えることができない人(人の幸せを願えない人)は、管理職になるには慎重になった方がいいと思います。
というか、感情的な話になりますが、こんな人は、管理職になってはいけないでしょう。
少し乱暴な言い方に聞こえるかもしれません。
しかし、管理職の仕事の中心には、やはり人の幸せがあると思っています。
子どもたちが、安心して学校に来ることができる。
教職員が、必要以上に追い詰められずに働くことができる。
保護者が、学校に不信感だけを抱かず、少しでも安心して子どもを預けることができる。
地域の方が、学校を大切な場所として見守ることができる。
そうしたことを考え続けるのが、管理職の仕事なのだと思います。
もちろん、学校では全員が満足する判断ばかりはできません。
誰かに我慢してもらわなければならない場面もあります。
厳しいことを伝えなければならない場面もあります。
すべての人を喜ばせることはできません。
しかし、それでも管理職は、
「この判断は、誰の幸せにつながるのか。」
「この対応で、誰かを必要以上に傷つけていないか。」
「子どもたちにとって、教職員にとって、よりよい学校になっているか。」
と考え続ける必要があります。
管理職は、人を動かす仕事ではありません。
人を管理するだけの仕事でもありません。
人が少しでも安心して力を出せるように、環境を整える仕事です。
その根っこに、人の幸せを願う気持ちがなければ、判断は冷たくなります。
効率だけを優先する。
自分の評価だけを気にする。
組織の都合だけを考える。
そうなると、学校は少しずつ苦しくなっていきます。
人の幸せを考えるというのは、特別に立派なことをするという意味ではありません。
目の前の先生が、少し疲れていないかを見ること。
子どもの小さな変化に気付こうとすること。
保護者の強い言葉の奥にある不安を考えること。
職員室で誰かが孤立していないかを気に掛けること。
そうした小さな視点の積み重ねです。
管理職になるかどうかを考えるとき、
「自分は人を幸せにしたいと思っているだろうか。」
と問い掛けてみてもよいと思います。
大げさな答えでなくて構いません。
子どもたちが安心して過ごせる学校にしたい。
先生方が少しでも前を向いて働ける職員室にしたい。
困っている人が一人で抱え込まない学校にしたい。
そういう思いが少しでもあるなら、それは管理職として大切な土台になると思います。
反対に、人のしんどさに関心がない。
自分の立場や評価だけが大切。
子どもや教職員の幸せよりも、組織をうまく回すことだけを考えてしまう。
そういう状態で管理職になると、学校にいる人たちは苦しくなります。
管理職の判断は、思っている以上に人の心に影響するからです。
管理職に必要なのは、特別な能力だけではありません。
人の幸せを考えようとする姿勢です。
学校にいる人たちが、少しでも安心して、少しでも前を向いて過ごせるように考え続けることです。
その思いを持てるかどうか。
これは、管理職になるかどうかを考える上で、とても大切な問いだと思います。