「校長が変われば、学校が変わる」と言われることがあります。
確かに、そうかもしれません。
校長が変わることで、学校の方針や雰囲気、教職員の動き方が変わることはあります。
校長が何を大切にするのか、どのような言葉を発するのか、どこに時間や予算を配分するのかによって、学校の姿は少しずつ変わっていきます。
校長が学校に与える影響は、決して小さくありません。
しかし、この言葉がいつの間にか、
「学校が変わらないのは、校長がダメだからだ」
「結局、校長が一番悪い」
「校長が変わらなければ、何も変わらない」
「自分は悪くない」
という意味で使われることがあります。
私は、そこに強い違和感を覚えます。
それがまかり通るのであれば、
「教頭が変われば、学校は変わる」
「主幹教諭が変われば、学校は変わる」
「学年主任が変われば、学校は変わる」
「研究主任が変われば、学校は変わる」
「担任が変われば、学校は変わる」
「先生が変われば、学校は変わる」
と言ったことも一面では真実です。
教頭の調整の仕方によって、教職員の働きやすさは変わります。学年主任の関わり方によって、学年のまとまりは変わります。研究主任の働きかけによって、授業研究の文化も変わります。担任の言葉や姿勢によって、子どもたちの安心感も変わります。
それぞれが変われば、学校が変わることもあります。
これは真実です。
学校を変えるのは、校長だけではないはずです。
学校は、校長一人でつくられているわけではありません。
校長の影響力が大きいことは事実です。しかし、影響力が大きいことと、学校で起きていることのすべてを校長の責任にすることは、別の話です。
「校長が変わらないから、自分には何もできません」
そう考えた瞬間、自分を学校づくりの当事者から外してしまうことになります。
他人の責任ばかりを語る人は、当事者としての意識が弱くなっているのではないかと、私は思います。
例えば、校長が、
「この学校が変わらないのは、教育委員会が悪いからです」
「教育委員会が認めてくれないから、何もできません」
と言ったら、周囲はどう感じるでしょうか。
おそらく、「責任を果たそうとしていない校長だ」「当事者意識のない校長だ」と感じるのではないでしょうか。
では、教育委員会事務局が、
「学校が変わらないのは、予算を認めない財政部局のせいだ」
と言ったらどうでしょうか。
財政部局が、
「予算を増やせないのは、議会のせいだ」
と言ったらどうでしょうか。
さらに議会が、
「市民が理解してくれないからだ」
と言い始めれば、責任転嫁はどこまでも続いていきます。
そして、自分に返ってきます。
確かに、それぞれの立場には権限の限界があります。自分の努力だけでは動かせない制度も、予算も、人事もあります。現場の熱意だけでは解決できない問題があることも事実です。
だからといって、自分より強い権限を持つ人や組織を批判していれば、自分の役割を果たしたことになるわけではありません。
校長には校長の役割があります。
教頭には教頭の役割があります。
主任には主任の役割があります。
担任には担任の役割があります。
教育委員会には教育委員会の役割があります。
それぞれの立場で、できることとできないことを見極め、できることを少しずつ積み重ねていくしかありません。
もちろん、校長の判断に問題があれば、意見を伝える必要があります。納得できないことまで黙って受け入れる必要はありません。建設的に異議を唱えたり、改善を求めたりすることも、学校をよりよくするための重要な行動です。
しかし、それと「校長が悪いから、自分にはどうしようもありません」と考えることは違います。
学校現場には、「誰が悪いのか」を身内を責めるほどの余裕はないはずです。
目の前には、支援を必要としている子どもがいます。
悩みを抱えた保護者がいます。
授業づくりに困っている教職員がいます。
組織として解決しなければならない課題があります。
そのときに大切なのは、
「自分にも原因の一部はないか」
「自分の関わり方を変えられないか」
「今の立場で、できることはないか」
「誰かと協力すれば、一歩進められないか」
と考えることではないでしょうか。
自分だけを責める必要はありません。すべてを自分で背負う必要もありません。
しかし、自分を完全に無関係な立場に置き、誰かの責任だけを語るのも違います。
責任を一人に集中させるのではなく、それぞれが自分の役割を引き受けます。私は、それが学校という組織の本来の姿だと思っています。
近年、学校現場にも民間企業の経営手法や組織論が取り入れられるようになりました。目標管理、成果指標、マネジメント、リーダーシップといった考え方から学べることは多くあります。
それを否定するつもりは全くありません。
ただし、学校は、製品をつくる組織でも、利益を上げることを第一の目的とする組織でもありません。
学校が向き合っているのは、一人ひとり異なる子どもの成長です。すぐには結果が出ないこともあります。効率だけでは判断できないこともあります。数値では表せない変化を大切にしなければならない場面もあります。
だからこそ、教育者は教育者なりの哲学を持って働いてよいと思います。
誰かを切り捨てるのではなく、どうすれば共に前に進めるかを考えます。
立場の弱い人に責任を押しつけるのではなく、自分の役割を見つめます。
うまくいかないときほど、誰かを責めるのではなく、対話と協働の可能性を探ります。
そのような教育現場の考え方が、これからの社会をつくっていくのではないでしょうか。
「校長が変われば、学校が変わる」
この言葉は、校長の責任を追及するための言葉ではありません。
校長を含め、学校に関わる一人ひとりの行動が、学校を変える力を持っています。そのことを確かめるための言葉であるべきだと思います。
理想論だと言われるかもしれません。
それでも私は、「誰が悪いのか」を探すより、「自分に何ができるのか」を考える教育者でありたいと思っています。
これからも、そのような思いを持ちながら仕事を続けていきたいと思います。